10月31日 森永卓郎の本を少し読みました。
昨日書いたアメリカの補正の話ですが、どうやら打つことを検討しているようです。特に、議会で多数を占める民主党は、積極的に動いているようです。それに関しては、ブッシュも前向きだと新聞に書いてありました。なぜ今なかなか補正を打たないのかというのは、もう2月に所得減税かなにかをすでにやっているんです。当時のレートで20兆円ぐらいですから、かなりの額の減税をすでにやっているので、動き出しが鈍いようです。中身は、公共事業中心みたいなことが書いてあったような気がしました。ということは、きちんと私達が考えるような考えで、しっかり景気対策を打つことになるようです。それと、アメリカは金利を下げることになりました。私はこのあたりは詳しくありませんが、昔の日本と同じように量的緩和をかなりしていくということのようです。こういったものはどういうことなんでしょうね。日本では、量的緩和の議論というのは、かなりあったと思うのですが、あれはデフレの時にかなりやった議論なんでしょうか。インフレターゲットだとか、昔はよく聞きましたが、最近はその話を聞かないので、デフレを落ち着かせるまでの議論だったということなのでしょうね。ただ、アメリカは今はデフレではないので、当時の日本の議論とは違うんだと思います。そのあたりがよく私にはよく分らないのですが、アメリカでのものは、単なる量的緩和なんでしょうね。しかし、このへんの政策というのは、私などには難しくて分りません。金利を下げるというのは、本来投資に向かわせるものだと思うのですが、日本で行われていた議論というのは、市場に資金を流せば、インフレになるというものだったはずです。ただ、アメリカはどちからといえば今インフレなんじゃないかと思うのですが、そのあたりはどういうふうに考えればいいのでしょうか。なかなか同じことをやっているとは言うけれど、実際日本がデフレだった時とは、情況が違うと思います。ただ、景気が悪くなりそうなので、金利を下げているだけでしょうね。日本での議論では、木村剛とかは、量的緩和をしても、市場に出まわった資金が、日銀に戻ってきているとか、国債を買っているので、そんなことをしても意味がないといっていたような気がします。私は、ここ何日間か森永卓郎の本を読んだのですが、それを読むと、量的緩和をしたから、日本は経済が良くなったのに、それをやめてしまった途端に経済が失速したとかいてあったので、このあたりがその後どういう風になって、どういう結論になったのか私には分りません。ただ、森永さんがいっているものは、デフレの時代からの延長戦のような話ですから、また本来は違う視点が必要なのかもしれないし、それとは別に、デフレが収まってもそれでも量的緩和なのだということなのだとしたら、こういったものを判断するのは並大抵ではないできないという感じがします。しかし、私は森永卓郎の本を読んで、意外とまともな人間で驚いています。彼は、冷やかしのような存在でテレビに出ているのかなと思っていたのですが、しかし、そうではなく、昔から小泉改革の批判をしていたので、今持ち上げられるのは、当然といえば当然なんだと思います。それに、一つ一つの判断がきちんとしているというか、読んでいても分りやすく分析しているところもあります。私は、インターネットで100円しかしないので何冊かかっただけなのですが、暇つぶし以上の価値のある本でした。それと、いくつかの分析で正しいというか、日本ではあまり見かけない話も書いてありました。VANというのは、付加価値通信網のことをいうそうですが、これがITの原型だと書いてありました。販売状況が回線を通して、メーカーに送られるものをいうのだそうですが、コンビニなどがそういったシステムを使っていたということだと思います。私も、これは正しいと思います。私の持論でも、ITというのは、日本発のもので、決してアメリカが作り上げたものであるとは思いません。そもそもは、日本の80年代のオートメーション化によるものであるといっていいと思います。日本は、家電などにコンピューターチップをどんどん埋めこんでいって、世界中に売りまくったわけですが、この流れの中で、オンラインシステムができあがっていったと考えるのが、正しいと思います。コンビニの発注もそうだし、銀行のATMのようなものもそうです。コンピューターをオンライン化したのを日本はビジネスではすでに使っていたのです。それを個人のパソコンで繋いだのが、インターネットです。恐らくですが、アメリカ人が日本人がビジネスでオンラインシステムを使っているのを知って、それならば、個人のパソコンを繋ごうと考えたのがインターネットだったのではないでしょうか。日本人は、オンラインシステムをビジネスでは使っていましたが、なかなか個人のパソコンをつなごうという発想にはならなかったのだと思います。ただ、もちろん、インターネットというのは、日本人には目新しいものであり、今までにないビジネスもそこに生まれたわけでが、あの時にはやったIT革命という言葉は、単なる表現だけのものでしかなかったといっていいでしょうね。なぜなら、IT革命というのは、森永さんの言うVANであって、そんなものは日本人はもうすでに使っていたからです。アメリカ人にいわせれば、IT革命はアメリカ人が起こしたものであり、そのプライドも高いのだと思いますが、しかし、実際にアメリカ人が作ったのは、コンピューターであって、オンラインシステムを使い出したのは、日本人であったと言っていいと思います。もちろん、その原型がなんであったとかという話になれば、いろいろあるのも事実だとはおもいます。UCLAかなんか知りませんが、コンピューターを繋いだのがインターネットの始まりとされていると思いますが、しかし、実際に使い始めたのは日本人であったということだと思います。ただそれは、ビジネスにおける情報処理として使ったのであって、個人の通信に応用はされませんでした。ただ、考えようによっては、コンビニの発注などは、電話線でやっていたわけですから、ビジネスで使うよりも早く、個人のパソコンを繋ぐ方が先であってもおかしくなかったといえるかもしれませんね。森永さんの本では、こういったのは、政府の方針でやっていたようなことも書いてありましたから、官僚というのも、昔はやはり力があったと考えていいようです。しかし、官僚が作り上げた経済指針であるとするのなら、どこかにその原型はあるはずで、恐らくそれはアメリカにあったのかもしれません。理論としてあったものを現実に使い始めたのが日本人であったといったあたりが事実でしょうね。官僚がこういった事を思いついて、それを政策として打ち出すだけの力があるはずがありません。もしあるのだとしたら、今の日本がこれほど困るはずがありません。コンセプトはアメリカにあって、それを実用化したのが日本であったということでしょうね。おそらくですが。ただ、それでも光ファイヴァーまで日本はしくことを政策にしたわけですから、単純に彼らを馬鹿にすることはできません。光ファイヴァーは日本が発明したものであったと思うのですが、もしそうだとするのなら、コンセプトの原型は確かにアメリカにあったかもしれませんが、しかし、それを進化させるだけの発想も日本の官僚にはあったことになります。もちろん、それでは今の日本の実態はなんなのだという思いもあります。やはり、どこかに官僚の限界というのがあって、それを今は越えてしまったのでしょうね。それ以外には考えられません。彼らは、なにかを発明したり、コンセプトを生み出す力というのは、かなり限定されている人達のはずで、しかし、その中に、僅かながら優秀なコンセプトを生み出せる人材がいたということなんだと思います。企業との関係や世界中からの産業の情報をうまく分析して、新たな提示をするのが彼らの役目だったのだと思いますが、しかし、産業が育てば育つほど、そういった情報収集というのは、企業そのものがするようになり、必ずしも、官僚に頼る必要がなくなってしまったんでしょうね。そういったなかで、官僚の存在の重要度が落ちてきて、今となっては、社会の負担とまで考えられるようになってしまったんだと思います。こういうのはいろいろな世界にもあります。結局は、構図が変わっていく中で、存在価値が落ちていき自分たちの役割の再定義ができないまま、その利権だけを温存するしかない立場に追いやられてしまったというのが、今の官僚の立場ということになると思います。ということは、官僚をどう考えるのかというのなら、彼らの存在の再定義ですね。そこをどうするのかということだと思います。それができなければ、彼らにとっても不幸ですし、日本という国家にとっても不幸です。その際定義をした上で、あなたは官僚になりますか、それともなりませんかというのを、官僚を志す人間には問わなくてはいけないのだと思います。今官僚を志す人が少なくなったとか、質が低くなったとかいわれていますが、もしかしたら、彼らの中には、まだ昔の官僚と同じような志でなろうとしている人もいるかもしれません。私は、ある意味それは気の毒であると思います。官僚を目指すのなら、官僚がなんであるのかを、彼らも理解しなくてはいけないはずで、彼らの思いと、社会の評価があまりにもかけ離れている現実というのは、何とかしなくてはいけないと思います。あくまで、役割を理解した上で、気持ち良く官僚にも働いてもらのがいいと思います。そのためには、やはり再定義というのが欠かせないでしょうね。なぜ官僚がこういう立場に追いやられたのかを理解するのが一番大切なのだと思います。
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